楽劇 楽劇はリヒャルート・ワーグナーの創始になる ワーグナーはそれまでのオペラが安易に流れ堕落しているとして、イタリアオペラのような「アリアのカタログ」を軽蔑し、音楽と演劇の真に対等な総合芸術を目指しこれを完成した。 |
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「さまよえるオランダ人」 |
「タンホイザー」 |
「ローエングリン」 |
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「ラインの黄金」 |
「ワルキューレ」 |
「ジークフリート」 |
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「トリスタンとイゾルデ」 |
「マイスタージンガー」 |
「パルジファル」 |
(以上9枚の切手はいずれもドイツ発行)
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「ラインの黄金」 |
「ワルキューレ」 |
「ジークフリート」 |
「神々の黄昏」 |
(以上4枚の切手はいずれもウルグァイ発行)
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「 龍を殺すジークフリード」 |
「グンターのアイスランドへの旅」 |
「グンターのアイスランドへの旅」 |
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「ニンフがハーゲンに未来を予言」 |
「ルディガー・フォン・ベヘラーが ニーベルングを歓迎」 |
「ディートリヒ・フォン・ベルンが ハーゲンを征服する」 |
(以上6枚はいずれもオーストリア発行の「ニーベルングの指輪」シリーズ)
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「ジークフリート」 (ドイツ) |
「マイスタージンガー」 (ドイツ) |
「マイスタージンガー」 初演100年 (ドイツ) |
「ニーベルングの指輪」 (オーストリア) |
リストはワーグナーの楽劇の熱烈な支持者となり生涯の友情を結ぶことになるが、楽劇形式はその後リヒャルト・シュトラウス、ヴェルディ(「オテロ」「ファルスタッフ」)、ドビュッシー(「ペレアスとメリザンド」)などに受け継がれて大きな流れを作った。 |
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リスト ( ドイツ) |
ドビュッシー 背景は「ペレアスとメリザンド」 (マラガシ) |
リヒャールト・シュトラウス 背景は「サロメ」 (ドイツ) |
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ヴェルディ(左は「オテロ」、右は「ファルスタッフ」の場面) 同い年の彼は一時期筆を折ったがワーグナーの没後、楽劇形式に転向して これらの最高傑作を遺した (サンマリノ) |
ワーグナーが自らの楽劇を上演すべく設計し、時の国王ルードヴィッヒ二世の後援を得て1876年に完成をみたのがバイロイト祝祭劇場で、オーケストラピットを舞台の下に設けた構造の嚆矢となった。また、この劇場の柿落としで彼が22年かけて完成した「ニーベルングの指輪」の大作が初めて披露された |
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ルードヴィッヒ二世 (ドイツ) |
ワーグナーに心酔したルードヴィッヒ二世が建て、 ワーグナーの作品に因んだ壁画の多い ノイシュヴァンシュタイン城 (ドイツ) |
若い頃革命運動に加担して永い亡命生活を余儀なくされたワーグナーは、華やかな女性遍歴を含め正に波瀾万丈の人生を歩んだが、1883年ベネチアで妻コージマ(リストの娘)に看取られながら69歳の生涯を閉じた |
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(ドイツ) 生誕60年記念 |
(アルバニア) 生誕180年記念 |
(ギニア) |
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(タジキスタン) |
(トルコ) |
(オーストリア) 背景は「ローエングリン」 |
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生誕180年記念 (東ドイツ) (背景は「さまよえるオランダ人」) |
(ポルトガル) |
(マケドニア) |
背景は ミュンヘン・国立劇場 (イェーメン) |